房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

仕事遍歴

再始動 After a long stagnation

ラストフロンティアで 最後にケニア入りしてから2年が過ぎようとしている。コロナの影響で行き来が難しい状況は、日本側の出入国規制によるところが大きかった。ナイロビでは危惧していたような感染爆発は幸いにも起こらず、早い段階での通常の日々への回帰…

追悼の8月 August of Sorrow

日本の8月は盆の月、悲しみの月でもある。 77年前の広島、長崎への原爆投下、そして敗戦。黙とうを捧げながら、甲子園の高校野球に熱狂する。歴史的な悲劇と今ここにある危機や憤怒が混じり合って、どこかアンバランスな暑い夏を今年も迎えた。 War dead mem…

魅惑のインドシナ半島 Hanoi, Vietnam

800万都市ハノイ ベトナムの北部に位置し、政治・文化の中心地であり首都である。南部に位置する商業の中心地ホーチミン、旧称サイゴンに次ぐベトナム第2の都市でもある。ベトナム戦争最中の1960年代から70年代にかけて「北爆」と呼ばれる米軍の苛烈な空爆に…

ベンガル人の国へ その2

バングラデシュでの移動には車が必須だ。 ベンガル湾に面した第2の都市、チッタゴンにも行ってみたかったのだが、長距離バスも電車も、とても外国人が利用できそうなものではない。僕たちは現地の会社が用意してくれた運転手付きの車で渋滞を避けながらダッ…

ベンガル人の国へ その1

バングラデシュを訪れたのは10年以上も前になる。 インドを東西に挟んだパキスタンから1971年に分離独立して、東パキスタンがバングラデシュ、「ベンガル人の国」になった。人口は優に1億5000万人を超え、世界で最も人口密度の高い国と言われる。日本を参考…

ハードロックでドバイ

ドレスコードの街 イスラム教の国には暮らしや食事、服装などに様々なルールがあって、外国人からは面倒で窮屈だと感じることが多い。ドバイはかなり自由な都市であるとはいえ、街中では男性であればカンドゥーラ、女性はアバヤとかヒジャブといったお馴染み…

ドバイ街歩き

アラビアの雑踏に溶ける 海外に出たら必ず現地の市場に行くことにしている。その熱気や活気に国それぞれの特徴があって、人々の生の暮らしの一端を見ることが出来る。 オールドスーク、スパイススーク、ゴールドスークなどの市場をハシゴして回るにはドバイ…

アラビア半島

人工楽園都市 アラブ首長国連邦(UAE)はサンタクロースの長靴のような形をしたアラビア半島の、足の甲の先に位置する。日本から東アフリカへ行くのに大抵はカタールのドーハかUAEのドバイまたはアブダビでトランジットした。チケットが比較的安いこと、短時…

ラストフロンティアとは

可能性の大陸 アフリカの仕事仲間が年末年始の現地勤務を終えて日本に戻った。水際対策ルールに従って、成田空港近くのホテルで1週間の隔離を終えてようやく帰宅したとのこと。しかし2週間後にまたケニアでの医療活動に戻るという。その肉体的、精神的負担を…

跳んでアフリカ

写真を整理しながら、アフリカ大陸で宿泊滞在した国々の記憶を辿ってみた。 スーダン この国を商売で訪れる人は多くないと思われる。輸出が出来たとしても代金回収の方法が限定される社会主義国だ。人々は一様に長身痩躯で平均身長は180㎝を越えるらしい。 …

魔性のエチオピア料理

エチオピア料理は大勢で食べるのが良い 現地の友人が地元レストランに案内してくれた。日本の藁ぶき屋根に似た建物はかなり大きくて、長い柱で支えられた空間は巡回サーカスのテントのように広い。 土間の店内に入ると入口近くでエチオピア美人がコーヒーを…

アジスアベバ徘徊

アジスアベバの休日 タクシーをチャーターして大好きな市中徘徊に出かけた。行きたいところ、見たいものは沢山あった。博物館に行く、ローカルレストランで地元料理を食べる、喫茶店のエチオピアコーヒーを飲む、衣料品の商店通りへ行く、ナイトクラブを視察…

初めてのエチオピア

エチオピアという国はアフリカの国々の中で異色の存在 何が、と考えてみる。細身、細面で長身、どこかギリシャ系のような顔の人々。美人の国と言われることもあるらしい。アフリカで唯一と言える、植民地化されたことのない国。(西アフリカのリベリアは建国…

懐かしいアフリカ ケニア編 愛すべき人々②

ゆっくりと流れる時間の心地よさ ケニア人たちは、総じてストレートでシンプル、時々シャイで、外見と違って人当たりが柔らかい。ナイロビの中心街でもそうだが、車で数時間走れば、そこには更に人懐っこい人たちが素朴に暮らしている。妙な違和感を覚えるの…

懐かしいアフリカ ケニア編 愛すべき人々①

しなやかに、したたかに 2013年に初めてケニアに降り立って以来、公私で様々な人に出会ってきた。大半は都市の役人やビジネスパーソンたちだが、過疎の村で大地に生きる人、国立公園のガイド、観光業のマサイ族、スラム街の商店主たちのほうが性に合った。敢…

懐かしいアフリカ ケニア編 ワイルドライフ

初めてのナイロビで、想定外に近代的なことに驚いた。 ちょっと町外れを歩けば、安全な野生動物くらいゴロゴロいるだろうと思っていたからだ。山川惣治の『少年ケニア』という古い絵物語を原作とするアニメ映画の微かな記憶もあった。現実はと言えば、ナイロ…

懐かしいアフリカ ケニア編 オンザロード

魅惑と困惑のナイロビ 東アフリカのハブ、ケニアは人口約5,400万人。これまでに10回以上は渡航している、アフリカで一番縁のある国だ。マサイ族の言葉で「冷たい水」を意味する首都ナイロビは標高1700メートルの高地で、赤道直下とは思えない高原の心地よさ…

懐かしいアフリカ タンザニア編

初体験の大陸 キリマンジャロの冠雪 縁あってアフリカに関わって、およそ8年が過ぎた。医療過疎地域にドクターカーを走らせる計画の調査で、東アフリカのタンザニアを訪れたのが始まりだった。インド洋に面した最大都市のダルエスサラームに滞在し、現地の大…

解放の10月

アフリカはまだ遠い 長く続いた非常事態宣言が9月末でとりあえず、終わった。振り返れば、3月から4月にかけての一時期を除いてコロナウィルスに閉ざされた日々だった。縁あって関わって来たアフリカでのプロジェクトも、渡航が出来ないまま凍結されて今に至…

友あり、遠方へ去る また淋しからずや

個性満開の1970年代 授業にかける時間が足りず、卒業に5年を要した。同期の連中は要領よく4年で卒業して行ったので、友のいない5年生はキャンパスに行くことも少なくなり、本業の陸送屋以外にも様々なアルバイトに明け暮れて日々は過ぎていった。横浜の…

YS-11と四畳半

昭和の運び屋 大学時代を部活とアルバイトで過ごした。授業の記憶は殆ど無い。経験したアルバイトの数は両手両足の指でも足りない。所有していたクルマとバイクを維持するために高収入が絶対条件だったので、職種は土方、地下鉄工事、長距離トラック助手、沖…

ゴジラの吠える夜

香林坊の夜は更けて アメリカ大リーグで大谷選手の活躍が止まらない。二刀流のスーパーマンという、コミックをはるかに凌ぐ痛快キャラクターは国境など関係無しに人の心をときめかせる。今日ついに32号ホームランを放ち、松井秀喜の日本人記録を超えた。 そ…