アイルトン・セナ ドイツ 初めてのヨーロッパ
夢の日曜日
1992年7月26日 決勝
ホッケンハイムリンクのグランドスタンド前に並んだマシンをレースクイーンやメディアが取り囲んで、スタート前のセレモニーが始まる。観衆の騒めきもひときわ大きくなる。目の前のグリッドにはセナがいる。マンセル、パトレーゼ、ベルガー、アレジ、シューマッハ。そしてずっと後方には鈴木亜久里、片山右京。今、僕は間違いなく彼らと同じ空気を吸い、同じ時間を共有している。そのことに感動し、眼前に掲げられた日本の国旗に心はさらに昂ぶった。
記憶の裏付けに、ウェブで当時の予選順位を確認してみた。
ポールポジションは順当にマンセル、同僚のパトレーゼが2位でウィリアムズ・ルノーⅤ10勢がフロントローを押さえ、以下マクラーレン・ホンダV12のセナ、ベルガーが続く。真紅のフェラーリでアレジがさすがの5番手、2年目の新人シューマッハは非力と思われたⅤ8ベネトン・フォードで6位につけた。
フットワーク無限ホンダV10の鈴木亜久里は15位、ランボルギーニを駆る片山右京は16位。マシンの戦闘能力とドライバーの技量を、この高速サーキットで証明できるか。
往年の名ドライバーであるグラハム・ヒルの息子デーモン・ヒルがブラバムで参加して予選落ちというのは記録を見て初めて知った。
レースを終始リードしたのは、この年のシリーズチャンピオンとなったナイジェル・マンセル。2位に上がったセナの巧妙なブロックを崩し切れないパトレーゼはスピンして争いから脱落、期待の星シューマッハはそれに応える走りを見せて地元で初の表彰台に立った。
ドイツでF1が今一つ盛り上がらないのは、有望なドイツ人ドライバーがいないからだと思っていたが、はっきりと様変わりの予感がした。
結果は優勝マンセル、2位は技ありのセナ、3位に入ったシューマッハは8月のスパ・フランコルシャンで雨のベルギーグランプリを制して初優勝を遂げている。亜久里と右京はスピンとマシントラブルで早々とリタイヤしてしまった。
時代は変わる
この年のウィリアムズ・ルノーの強さは別格で、輝きを失い始めた前年の覇者マクラーレン・ホンダはセナの意地とテクニックで地位を維持している。セミオートマやトラクションコントロール、アクティブ・サスペンションといったハイテクが導入され始めたF1は新しい次元に入ろうとしているように見えた。
それは、伝説のドライバーであるジム・クラークやグラハム・ヒル、エンツォ・フェラーリ、ジャッキー・スチュアート、ニキ・ラウダたちが操ってきた、各国のナショナルカラーに輝く芸術品のようなフォーミュラに恋する古い世代には、少し寂しい時代の到来という事かもしれない。