房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

ナイトラリーを開く

夜あそび

自分の大学でも、神奈川県や山梨県の山道や林道を使って自動車部ラリーを主催した。
夕刻にキャンパスをスタートして翌早朝にゴールというナイトラリーで、コースの設定や下見、所轄警察への届け出から当日の審判仕事にセレモニーまで、結構な大イベントだった。
丹沢山系のヤビツ峠あたりがメッカといえる場所だったが、当時はかなり危ない悪路であり、よく警察の許可が下りたものだと今にして思う。

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部車のセドリック、老骨に鞭打ちスタート

1970年代というのは、日本の自動車メーカーが世界のサーキットレースやラリーに挑戦して成績を残していた時期で、学生ラリーという競技は軟派も硬派も受け入れる刺激的なスポーツとして成立していた。体育会系の自動車部から、同乗ギャルにいいところを見せるのが目的のお坊ちゃんまで、こういうのに限って本格ラリーカー仕様でやってくるが、とにかく無事故で主催レースを終えるべく奮闘した。

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世界レースを走る、本来のラリーカー

何せ公道でのことであるから、予期せぬことが当日になって起こる。コマ地図に載せた目印が消えていたり、思わぬ道路工事が始まっていたり。富士山の麓で道路を挟んだ両側からの自衛隊夜間演習に遭遇したこともある。
それらの確認やらルート上のスタッフ、コントロールポイントの撤収やらで最終審判車を走らせるのだが、これが中々の珍道中であった。

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ラリーのメッカ、ヤビツ峠の今

まず、山中でスタックしてギャルに愛想つかしをされているお坊ちゃま車を見つけたら林道に引き戻す。競技に戻れない場合は申し訳ないがスポンサーの手前、車のゼッケン類は全て剥がす。
話は飛ぶが、むかし東京・赤坂見附の大通りで居眠り運転の選挙運動車に正面衝突されたことがある。その車から顔面血だらけの男性2人が転げ出て来て、野次馬の見つめる道の真ん中で、車に貼られた議員候補氏のポスターを必死で剥がすのを見た。
素性を隠したい時、ヒトはこんな必死の行動に出るのかと、タクシーの後席から呆然と見ていた僕の顔面も血で真っ赤だった。

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ヤビツ峠から、夜景

ブラインドチェックポイントの撤収では感服した。
それは交通ルール違反などを、隠れた審判員がチェックしてペナルティポイントを課すために設けた場所で、その日は自動車部連合のメンバーである某A大学の自動車部に現場担当してもらっていた。審判車がポイントに差し掛かると道の両側から黒い一団がぬーっと現れた。迷彩服に黒い顔、ヘルメットの網には木の葉の枝を挿しているという念の入れ様。ウーム、さすが将来の自衛隊幹部候補たちの仕事は迫力が違う。

世の中はオイルショック直前で、活気とか野生のようなエネルギーとか、反面で欲求不満感とかがごちゃ混ぜにあったように思う。クルマとの日々も少なからず無謀性を孕んでいて、今も冷や汗と苦笑で蘇る。
そしてその時代を共有した懐かしい友人達は今も自分の財産になっている。