房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

ゴジラの吠える夜

香林坊の夜は更けて

アメリカ大リーグで大谷選手の活躍が止まらない。
二刀流のスーパーマンという、コミックをはるかに凌ぐ痛快キャラクターは国境など関係無しに人の心をときめかせる。今日ついに32号ホームランを放ち、松井秀喜の日本人記録を超えた。

その松井秀喜星稜高校に在学していた同じ時期に仕事で金沢に4年間赴任していた。ゴジラとあだ名されるこの超高校級スラッガーには市内の百貨店で遭遇したことが有る。店内を移動してくる女性集団の真ん中で、ポコッと丸ごと一つ抜け出た巨大なイガグリ頭が松井秀喜だった。女子高校生から主婦まで、日頃は慎み深い金沢の女性ファンたちが学ランの高校生を揉みくちゃにしているのには驚いた。

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忘れもしない1992年8月、夏の甲子園大会2回戦で高校野球の歴史に残る5打席連続敬遠事件が起きた。この試合は高知県の高校相手に確か2対3で敗れたが、連続敬遠の是非について様々な主張の論争が巻き起こって社会問題にまでなった。
のちに彼がこの時の事を振り返ったインタビューを聞いたことが有るが、いつものように冷静で周囲に対する配慮まで感じさせるのはさすがに一流のスポーツマンだなと感心するばかりだった。
両チームの監督の心中や如何にと思うのと同時に、松井の後を打つ5番打者と相手チームのピッチャーの受けたプレッシャーや、その後も続いたという、いわれのない中傷に心が塞がれたのを思い出す。

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ところで、金沢には香林坊、片町という夜の楽しい繁華街がある。この敗戦の夜、どの店も大繁盛で議論は渦巻き、松井秀喜のもたらす北陸経済効果は絶大であった。町には酔客の欲求不満や怒りのエネルギーが充満して、一触即発の異様な雰囲気だったのを覚えている。普段あまり感情を爆発させることのない金沢人が、この日ばかりは目つきが危なかった。
「勝てばええってもんではないデェエ」
「ほうや」
「あれはイカンがに」
「あんた、まさか高知人じゃないやろな」
あの夜の片町辺りは四国の人には危険であり、ほぼいなかったものと考えられる。

もともと酒も肴も美味い土地柄である、飲んで騒ぐ理由さえあれば簡単に盛り上がる。ましてこの夜は大義名分が整い過ぎていた。あの居酒屋でも、このクラブでも、大量のゴジラたちが松井に代わって吠え、古都・金沢の夜は沸々と更けてゆくのであった。