房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

長崎の鐘 Silent Prayer, Nagasaki

国内で好きな町はどこですか?

そう聞かれたら、真っ先に頭に浮かぶ町のひとつは長崎だ。
独特の異国情緒と文化の香り、細く曲がりくねった石畳の道、たくさんの歴史的建造物、急な丘から見下ろす海の眺め。どれも旅心を捉えて止まない。
仕事で何度も通っているケニアのナイロビに熱帯医学研究所という、熱帯病や感染症に取り組む施設がある。それが長崎大学の現地拠点であることも一層の親近感の理由だ。

 

その長崎を訪れる時に必ず足を運ぶ場所がある。
浦上天主堂から緩やかに坂を下った閑静な住宅街に建つ、わずか2畳一間の小さな木造の家。如己堂(にょこどう)という。
長崎医科大学(現・長崎大学医学部)の放射線医師・永井隆博士が第二次大戦後の晩年を過ごされた家だ。

博士は結核治療に従事され、ご自身も慢性骨髄性白血病にかかった。
患者治療のためのレントゲン撮影で撮影者も被爆を続けるというのは、現代の常識からは想像もつかない。
さらに、38歳で余命宣告された2か月後に原爆投下で重傷を負うとは何という過酷な運命なのだろう。自宅で焼死した妻・緑さんの埋葬をした直後からは救護所で被爆者の治療にあたられている。
2畳一間の小さな家は浦上の人々が、焼け残った材木を集めて作ったものだという。
この如己堂で晩年の執筆活動に励む博士には多くの訪問者があり、ヘレン・ケラー女史も突然の訪問をされたそうだ。
如己堂は長崎市永井隆記念館という展示館の入り口脇に建っている。
小さな展示館なのでいくらも時間は要さないはずが、気が付けば何度も何度も展示品を見て回っていた。
今も、博士のお孫さんが館長として運営に当たられていると思う。


如己とは「己のごとく人を愛せよ」というキリストの言葉からの命名だそうだ。
このところの殺伐とした事件やきな臭い国際情勢のなかで、名曲『長崎の鐘』とともに頻繁に思い出すようになった。
記念館で買い求めた著書『Leaving My Beloved Children Behind』(この子を残して)は穢れのない英語の教科書として、いつも僕の手元にある。