房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

再始動 After a long stagnation

ラストフロンティアで

最後にケニア入りしてから2年が過ぎようとしている。
コロナの影響で行き来が難しい状況は、日本側の出入国規制によるところが大きかった。ナイロビでは危惧していたような感染爆発は幸いにも起こらず、早い段階での通常の日々への回帰は必要に迫られてのものだったろう。
4年以上前から関わってきたケニアでの巡回診療プロジェクトは次のステージに向けて再び動き出そうとしている。

youtu.beさだまさしオフィシャルYouTubeチャンネル公認
巡回医療プロモーションビデオ
提供:DREAM WORLD HEALTHCARE PROGRAMME

アフリカに出会って何年になるだろうかと考える。

医療過疎地域で出会った人々、特に子供たちの人懐っこさや無垢な視線が頭の隅に居座って、モヤモヤ感が抜けない。
『ここで、やり残したことがあるでしょ』
いつも、そう指摘されているような感覚と言ったらよいだろうか。

大分県とナイロビの両方に病院を持ち、アフリカに根を下ろして医療過疎地の巡回診療に情熱を注ぐ日本人がいる。
日本とケニアを精力的に往復する毎月のその活動は、コロナが蔓延する中も変わることがなかった。

武居光雄医師。

首都ナイロビから北西へ、大地溝帯を目指して140キロを走るとリフトバレー州の州都ナクルに着く。ナクル湖の北岸に位置していて、生息するフラミンゴで一面がピンク色に染まることでも有名だ。
この地を中心に師が2013年から実施してきた巡回診療は既に100回を超えると思われる。
ケニアは日本と似て47のカウンティと呼ばれる地方行政組織で成り立っていて、医療活動の質と量は各カウンティのヒトとカネに左右される。その体制は当然のように脆弱なので日本からのハード、ソフト両面での支援は多くのカウンティから熱望されるが、とても手が回らないのが実情だ。医師と看護師のチームを載せたコンボイで赤い悪路を行く巡回診療が、気の遠くなるような忍耐と使命感で続けられている。
日本では常識の医療サービスにアクセスできず、命の危険に晒される妊産婦や幼い子供たち。結核マラリアHIV。まだまだ多い様々な感染症の恐怖。さらには清潔な水や食料の不足、貧困。そんな環境の中でも自然体で、しなやかに生きる人たちに魅せられて、何かを手伝わずにはいられなくなった。

医師でも看護師でもない自分にも何か出来るのではないかと思うのは、ケニアの今が昔の日本とどこか似ているからかもしれない。
僕の子供時代は普通にビンボーだったが周りも似たようなものだったので、不幸だとは気づかなかった、考えもしなかった。
決してモノには恵まれていなかったけれど、工夫して遊ぶ知恵を身につけて、明日へのエネルギーは溢れていた。
そして今、使いたいことに時間を使えるシニアという期間にいる。
使い物になるシニアもいることを証明出来たら楽しい。そんな事を考えながらアフリカとの10年が過ぎた。
数十年後に、世界の5人にひとりはアフリカ人になるという。
最後のフロンティアと呼ばれるアフリカに、わずかでも貢献の痕跡を残すラストチャレンジがしたい。
ようやく、その一歩を踏み出せるかもしれない。