AROUND the WORLD in 38 DAYS : ARGENTINA
エル・ケランディの夜
アルゼンチンで必ず行くと決めていた場所があった。
ブエノスアイレス市内にも沢山あるタンゴレストランだ。
ネットで調べると大きな劇場から小規模で家族経営のような店まで様々だが、料理とアルゼンチンタンゴをライブで楽しむというスタイルは変わらないようだ。
ゲストハウスで薦めてくれたのは100年の歴史を持つという店で、宿近くのサンテルモ地区にあった。宿前の通りにあるカフェでグラスワインを空ける間もなく迎えに来た小型バスで、見知った石畳道の旧い建物に案内された。
店内はグループやカップルの客で満員、一人で席に着いた私は周囲から奇異な目で見られたが、同情と好奇心からか色々な言語で声を掛けられた。
フルコースの料理を黙々と食べ終えるとショータイムが始まる。
次々に現れるダンサーたちがステージで情熱的な踊りを繰り広げ、時には客席にまで降りて来て盛り上げる。バンドネオンもピアノもバイオリンもヴォーカルも、すべてが熱い。
アルゼンチンにはアストル・ピアソラという有名なタンゴ音楽家がいた。
バンドネオン奏者であり、タンゴにクラシックやジャズの要素を取り入れて新しい世界を切り開いた作曲家でもある。随分と昔、サントリーウィスキーのCMでヨーヨーマが弾いた「リベルタンゴ」というピアソラの曲に感動した記憶があり、それはいつも心の底に残っていた。
田中泯という舞踏家の「場踊り」という屋外イベントでそれを聞いたのが最近の感動だ。
エル・ケランディというこのタンゴレストランの本場ステージでそれを聞いた時、昔の記憶が一気に逆流した。拍手喝采を浴びせる観衆と一緒にスタンディングオベーションで恥ずかしげもなく声を上げていた。
約2時間のショーは演出が行き届き、アルゼンチンタンゴの歴史までもたっぷりと魅せてくれた。
ワインと興奮で火照った顔に、少し冷えてきた外気が心地よかった。
このまま宿に帰る手は無いな、通り沿いに開いているバーにでも寄って余韻に浸ろうかな、などと考えながら帰りの石畳道を歩いた。興奮の冷めないエル・ケランディ帰りの客が歌う声が、石造りの建物に絶妙に響いて背後で聞こえる。
今夜のタンゴは100年の歴史を感じさせて大満足だった。
次回は、出来れば小さなワンフロアーの店で、バンドネオンとダンサーの起こす風を至近距離で感じながら楽しめたら嬉しい。
それにしても、タンゴ・ディナーショーを一人で観るのはやっぱり味気ない。
ひとり旅に足りないものを知らされた夜だった。