Entries from 2021-01-01 to 1 year
ゆっくりと流れる時間の心地よさ ケニア人たちは、総じてストレートでシンプル、時々シャイで、外見と違って人当たりが柔らかい。ナイロビの中心街でもそうだが、車で数時間走れば、そこには更に人懐っこい人たちが素朴に暮らしている。妙な違和感を覚えるの…
しなやかに、したたかに 2013年に初めてケニアに降り立って以来、公私で様々な人に出会ってきた。大半は都市の役人やビジネスパーソンたちだが、過疎の村で大地に生きる人、国立公園のガイド、観光業のマサイ族、スラム街の商店主たちのほうが性に合った。敢…
初めてのナイロビで、想定外に近代的なことに驚いた。 ちょっと町外れを歩けば、安全な野生動物くらいゴロゴロいるだろうと思っていたからだ。山川惣治の『少年ケニア』という古い絵物語を原作とするアニメ映画の微かな記憶もあった。現実はと言えば、ナイロ…
魅惑と困惑のナイロビ 東アフリカのハブ、ケニアは人口約5,400万人。これまでに10回以上は渡航している、アフリカで一番縁のある国だ。マサイ族の言葉で「冷たい水」を意味する首都ナイロビは標高1700メートルの高地で、赤道直下とは思えない高原の心地よさ…
初体験の大陸 キリマンジャロの冠雪 縁あってアフリカに関わって、およそ8年が過ぎた。医療過疎地域にドクターカーを走らせる計画の調査で、東アフリカのタンザニアを訪れたのが始まりだった。インド洋に面した最大都市のダルエスサラームに滞在し、現地の大…
アフリカはまだ遠い 長く続いた非常事態宣言が9月末でとりあえず、終わった。振り返れば、3月から4月にかけての一時期を除いてコロナウィルスに閉ざされた日々だった。縁あって関わって来たアフリカでのプロジェクトも、渡航が出来ないまま凍結されて今に至…
個性満開の1970年代 授業にかける時間が足りず、卒業に5年を要した。同期の連中は要領よく4年で卒業して行ったので、友のいない5年生はキャンパスに行くことも少なくなり、本業の陸送屋以外にも様々なアルバイトに明け暮れて日々は過ぎていった。横浜の…
旧き良き横浜 渋谷と横浜を結ぶ東横線という私鉄路線に白楽という駅がある。僕の通っていた大学に近い小さな駅だったが、商店街には一通りの店と映画館まで揃っていた。飲んで終電を逃した夜はこの場末の映画館のオールナイト営業で一晩を過ごし、朝の電車で…
昭和の運び屋 大学時代を部活とアルバイトで過ごした。授業の記憶は殆ど無い。経験したアルバイトの数は両手両足の指でも足りない。所有していたクルマとバイクを維持するために高収入が絶対条件だったので、職種は土方、地下鉄工事、長距離トラック助手、沖…
香林坊の夜は更けて アメリカ大リーグで大谷選手の活躍が止まらない。二刀流のスーパーマンという、コミックをはるかに凌ぐ痛快キャラクターは国境など関係無しに人の心をときめかせる。今日ついに32号ホームランを放ち、松井秀喜の日本人記録を超えた。 そ…
夜あそび 自分の大学でも、神奈川県や山梨県の山道や林道を使って自動車部ラリーを主催した。夕刻にキャンパスをスタートして翌早朝にゴールというナイトラリーで、コースの設定や下見、所轄警察への届け出から当日の審判仕事にセレモニーまで、結構な大イベ…
夜に駆ける 大学時代を自動車部の部活とラリーとバイトで過ごした。JAFのラリーライセンスは持っていなかったので、もっぱら各大学の主催するナイトラリーに参加した。大学生主催の自動車レースを公道で実行するのを警察が許すなど、思い返せば信じられな…
狐と熊と自衛隊 1か月かけて車で北海道を回る。その語感に漂う優美さとは全く縁遠い遠征隊であった。ほぼ野宿の日々。オートキャンプ場などは無い時代だし、あったとしても入る予定もない。浜にせよ山にせよ、場所を決めたら周辺を当たってテント泊の許可を…
5000キロの貧乏ツアー アルバムを整理している。出てくる学生時代の写真は、クラブ活動とクルマに関わるものばかりだった。所属していた自動車部では毎年の夏休み期間を利用して、東日本か西日本に「遠征」と称する長期合宿に出る。僕が参加したのは東日…
難解な記憶 僕の住む大多喜という町には天賞文庫という立派な図書館がある。銀座天賞堂の初代店主の遺志によって建てられ、昔は赤レンガのモダンな二階建てだったそうだが残念ながら関東大震災で壊れてしまった。現在の鉄筋コンクリートの建物は1989年に町が…
復帰の備え レースを終えても重たい体に鞭打って、するべき事がたくさん残っていた。機材の整理・梱包、日本への再輸送手続きなどをアデレードの港で黙々と済ませてから、最後の滞在地ゴールドコーストへ国内航空便で移動する。そこで数日の休暇を過ごしてか…
敗者のないフィナーレ アデレードは歴史を感じさせるモダンで古い町だ。最後の市内走行は競争ではなく、順位も意味を失い、ほてった気持ちの余韻を楽しむ時間だった。 ゴールゲートをくぐり、最終検査を受けるために車両を所定の位置に並べると、6日間続け…
挑むことの原点 ゴールのアデレードまであと一日の地点までたどり着いた。最後のコントロールポイントに到着したのは、日没までまだ時間のある夕刻だった。それでも、ここを宿泊地にすると決めたのは目標としていた完走をほぼ確実にしたご褒美で、幸いにもチ…
路上生活 荒野のキャンプが日常になった。日の出とともに動き出し、日没前にねぐらを決めて漆黒の夜を満天の星の下でやり過ごす。ウォンバットとは入れ違い、カンガルーやワラビーとは同じ暮らしぶりだ。 地平線まで続くハイウェイは彼らにとって全く迷惑な…
陸と空と 前方を行くカナダチームを見つけた。こちらの巡航スピードが明らかに勝っているので、追い越すと決めて助手席のジャッジに了解を得、チームの各車両にそれを告げて準備開始。 まず、無線をカナダチームの周波数に切り替えて追い越しを通知しOKを貰…
路上のモンスターたち 荒野の朝は早い。遮るものが何も無いので、薄いテントに射す日の光で嫌でも目が覚める。8時の出発準備を進める我々のそばを大小の車が高速で飛んで行く。南に急ぐまともな道は多分これしかないのだろう。スチュアートハイウェイには実…
荒野の物件探し ハンドル操作のいらない真っすぐな舗装路が緩やかに起伏しながら続いてゆく。360度の地平には砂漠とブッシュが広がるばかりで、いくら走っても周囲の景色が変わらない。直前を走るソーラーカーの時速は60から70キロというところだが、…
10月16日 ダーウィン市内に設けられたゲートから各国のレースカーが一定間隔でスタートして行く。ゼッケン90番・Team Okinawa 車両名「LEQUION」のスタートアナウンスをゲート脇で待っていた僕はチェイスカーをLEQUIONの後ろ3メーターにつけて追尾し…
プロローグ オーストラリアのソーラーカーレースに挑戦する。そのための国内準備がすでに挑戦の始まりだった。チェイスカーのハイエースと搬送用パネルトラックの準備、ソーラーカー本体と併せての輸出手配、免税申請、現地ナンバー取得など、煩雑な仕事が山…
冒険の大陸 オーストラリアで2年に1度開かれる世界最大のソーラーカーレースに自作のクルマで挑戦する沖縄の工業高校生チームがあった。当時、沖縄でクルマ造りに関わっていた僕は、周囲を口説きサポートスタッフとして参加した。広大なオーストラリア大陸…
巡り巡って クルマに関わる記憶は2輪でも、4輪でも山のようにある。これまでの人生で乗り継いで来た車たちの事、ナイトラリー、大学時代の定番バイトだった陸送屋でのかなりブラックな体験、特殊用途車両製作とその輸出、そして中でも記憶に残るのはオース…
記憶の整理 このところの雨の日は、大量に残っている写真整理に没頭していた。写真ごとの古い記憶に度々手を止めるので作業は遅々として進まないが、整理しながら何を書こうか考える。 クルマと旅の写真が、やはり多い。クルマは昔から好きで、子供のころは…
戦い済んで マンハイムの宿に戻ってもレースの余韻は退かず、妻を伴ってホテル1階のバーでドイツビールを飲んだ。頭の中はサーキットの音と匂いがまだ満ちている。歓声を浴びながらグランドスタンド前を駆け抜けるセナ。長いストレートを全開で抜けてシュヴ…
夢の日曜日 1992年7月26日 決勝 ホッケンハイムリンクのグランドスタンド前に並んだマシンをレースクイーンやメディアが取り囲んで、スタート前のセレモニーが始まる。観衆の騒めきもひときわ大きくなる。目の前のグリッドにはセナがいる。マンセル、…
F1世界選手権第10戦 1932年オープンの伝統あるサーキット、ホッケンハイムリンクでドイツグランプリは開かれた。1992年7月24、25日 予選1992年7月26日 決勝ローマから始まった僕たちの旅の最大、最後のイベントが始まる。予選の人混…