房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

今更の、はじめの一歩(その1)

Dear Friends ; 

Hello guys, I'm sure you are here by mistake, and unfortunately I have no talent to turn these illogical writings into English or other languages. So please use a clever translation app, when you get in. Or visit another blog written in my humble English.
https://countrymanhiro.tumblr.com/

 

人生下り坂で考えた、

智が働かず角を立て、情に棹をとられて流された。
意地を通せば迷惑だ。とかく都会は住みにくい。

住み難さが嵩じてのことではないが、東京から房総半島の田舎に移り住んで15年が過ぎた。北へ南へ、足を運びグーグルマップで探索し、リアルにデジタルにロケハンを重ねた場所選びだった。
二股掛け居住を房総に集約して10年になるが、東京の旧宅から現住居までは東京湾アクアラインを渡れば車でわずか一時間半、仕事柄よく使う羽田空港まではどちらからも1時間でほぼ変わらない。社会化実験という手口で通行料を800円まで劇的に下げてくれた森田健作・元県知事に感謝しつつ、今も頻繁に利用している。

東京から房総へ

30年以上を暮らした世田谷は区民80万人を超え、高齢化が進む中で公的サービスが危うい。
片や我が町・大多喜は人口が9,000人を割ってなお減少に歯止めがかからず、歴史の名残を留める旧商店街にはシャッターが目立つ。
東京湾を挟んでわずか80kmの距離で景色も人々の暮らしも別物になる、この違いはどうしたことかと考えてしまう。

我が身でいうと、春夏秋冬、季節ごとの作業で畑に立ち、時に山に入り、雨や風、霜や雑草や害虫、益虫、害鳥、害獣や様々なヒト類たちと折り合いをつけながらの日々である。
会社仕事という人工作業とも完全におさらばした訳ではないが、コロナ禍で失業状態が続き再開はおぼつかない。企業戦士と呼ばれた団塊世代の先輩方の末端にいて、人並み以上には働いた実感があるし、ま、いいか。

気取って言えば晴耕雨読

平たく言えばドロップアウト気味の人生を振り返ってみる気になった。時間もあるし。歳を取ることはそう悪いことでもない。
人生下り坂サイコー とチャリンコ番組で火野正平も言っている。

何を書き連ねるか考えた結果、何でも書くと決めた。
ただし、辛かったことはわざわざ書きたくない、出来れば思い出したくない、読んでくださる人たちにも迷惑だ。
だから笑い飛ばせることを抽出して、ろ過はせず、顔から汗が出ても正直に書く。
とはいえ必要以上に恥をさらしたくはないし、まだ人生は一部現役で、ひょっとすると今後の仕事に悪影響が、、及ぶわけ無いか。
とにかく、お見苦しいところは寸止めにして、記憶がまだらな辺りは許されると自分が勝手に判断する範囲で話を盛ることにした。
過去を時系列で振り返るのも、つまらないから止めて、気の向くままに散漫に、あの時この時を行ったり来たりで書いてみようと思う。


ーその2へ続くー

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