房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

今更の、はじめの一歩(その2)

Dear Friends ;

Sorry guys, only in Japanese here.
Please visit the first writing, below.
今更の、はじめの一歩(その1) - 旅と今昔語りの徒然ブログ (hatenablog.jp)

 

振り返ってみる

そこで、何から書くか思案しつつ、人生を点検してみた。

幼少期:
高度経済成長期の典型的共働き家庭に生まれ、親の背を見てほったらかしで育った。
京浜工業地帯に労働者を送り出す町で、回りは誰も大抵貧しかったので特に自分が不幸と思ったことは無い。
小学生になると我が家にテレビなる装置がやって来て上座に置かれ、月光仮面は欠かせなくなった。
アメリカの信じられないハッピーなテレビドラマに衝撃を受け、憧れ、「ボクの親はひょっとして、ホントは、アメリカの金持ちじゃないの?」と母に尋ねたらひっぱたかれた。
近所に出来た幼稚園は子供が集まらず、必死の勧誘に負けた母の指示で入園するもイタズラが過ぎて中途退園、以降鍵っ子としての歳月を過ごす。
書けるか? 
微妙。思い出そうにも、写真も殆ど無い。まだらな記憶を揺さぶるような刺激が起きたら書く。

学びの17年:
地域的にあまり品の良ろしくない小中学校では、簡単に色に染まり、やたら暴力的な教師たちの体罰をなんの抵抗もなく受け入れ、先生にビンタされたと告白すると親に叩かれるので内緒にし、家庭訪問の前後は行いを慎むスベを覚えた。
高校は中学の悪童仲間が来ない、離れた都心の都立高校を受験し、どう間違えたか合格し、都会的な悪童たちに交わって過ごした。
大学はスペイン語科だけを選んで2校受験し、第一志望は見事不合格。
第二志望校に合格しても落ちたと嘘をついて浪人しようと思ったが、当時親以上に硬派だった兄が合格発表に付いてきて合格がバレ、やむなく横浜の大学で5年間を過ごす。
大学では部活とナイトラリーに精を出し、バイトが忙しくて授業などに割く時間は無く、スペイン人の先生が必ず出席を確認する必修のスペイン語クラスで、遅刻の理由をスペイン語で説明できないこと再三再四、故に落第留年。

スペイン語出来ないから来てるんですけど。

車とバイクに溺れるために、ゼミも卒論も不要という夢の経済学部に転部して卒業。
書きたいか? 
良い時代だった。ムリのない範囲で書く。

仕事遍歴:
外資系企業で27年間、可愛げのないヒラヒラ社員から課長、部長へとイバラと落とし穴の表階段を上出来に登り、調子に乗って起業して一足飛びに零細社長。日本のシキタリをいやと言うほど味わわされて開店休業し、日本のベンチャー企業で市場開拓に飛び回り、東南アジアからついにはアフリカへ突撃し今に至る。
ヒラヒラ社員から始まる人生双六を行きつ戻りつ、係長、課長、部長、常務、副社長、社長までを転々とし、盛り場で背後からお兄さんに「シャチョーッ!」と声をかけられると思わずニヤッと振り向く癖はまだ抜けない。
書いても大丈夫か?
まだ存命の先輩や同僚がいる。墓場まで持っていくべき事柄もなくはない。
彼らの名誉と、自分の見栄が大事。ゆえにホドホドに書く。

暮らしの今昔:
両親と義父は既に見送った。義母は施設で健在。兄が一人、ステントを多用して存命。妻が一人、怖いくらい健在。実子はいない。隠し子も残念ながらいない、前科もない。どの過去に戻りたいかと聞かれても、あんな恥ずかしいコトを繰り返したくはない。子供に生まれなくて良かったと思ったりもする。
人生で一番楽しかった時期は、と問われれば明日と答えたい。
面白いことが有ったか? 
そこそこ有ったので、こそこそ書く。

旅:
思えば、公私で随分あちこちに行った。書いても人に迷惑はかかりにくい、多分。
どれほど旅したか、宿泊滞在を条件に勘定してみた。
国内は多分あと4県で野宿も含めて全県完全制覇。
海外は多分25か国。トランジットを含めるとプラス9か国。まだ行ったことのない大陸は南極大陸を除くと南米のみ。
ためになることは有ったか? 
あった、アッタ、ATTA。

馬鹿なことも沢山したが、それも誰かの参考になるかもしれないので、ごっそり書く。
ただし、大半はカビの生えたような古い話であり、時に盛ったりもするので責任は持てない。
記憶に残る国や旅は数々あった。今も訪れ続ける国もある。
初めてヨーロッパを旅した、記憶に深い1992年。まずはこの旅のことから始めてみようと思う。

Isola di Capri カプリ島 1992年

Isola di Capri カプリ島 1992年