房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

天賞文庫で見つけた本

難解な記憶

僕の住む大多喜という町には天賞文庫という立派な図書館がある。
銀座天賞堂の初代店主の遺志によって建てられ、昔は赤レンガのモダンな二階建てだったそうだが残念ながら関東大震災で壊れてしまった。現在の鉄筋コンクリートの建物は1989年に町が新築してオープンしたのだそうだ。
町はずれの丘に建つ気持ちの良い場所で、時折足を運んでは手持ちの本を寄付したり、新刊をチェックしたりしているのだが、そこに懐かしい古本が寄贈されているのを見つけた。
つげ義春の単行本と月間ガロの特集号である。
漫画家名も懐かしいし、雑誌名も懐かしい。
つげ義春が当地に関わりが深いとは、ここに住んで初めて知った。

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僕が小学校から中学校のころ、貸本屋という商売が町にあった。本を買うのではなく貸してくれる店で、低料金で借りたマンガ本を家に持ち帰り読みふけったものだ。新刊本を買う金は無くても貸本代くらいはお年玉貯金で何とかなった。最初に借り手として登録する必要があり、怪しい子供でないことを証明するのに家にあった米穀通帳なるものを持ち出して提示したのを覚えている。何のための通帳だったのか実は知らない。何せ不動産屋の物件案内に『水道完備、ガス見込み』などという説明が付いていた時代である、今とは世の中が違っていた。
当時、貸本屋向けの本というのがあってそれに書く漫画家がいて、僕は暗く小さな貸本屋という空間でそれらの漫画家の作品に出合った。特に白土三平には衝撃を受けて、カムイ伝、サスケ、影丸伝といった長編やシリアスな短編を片っ端から読み漁った。中には子供には全く理解できないものもあって、つげ義春というのはその筆頭だったように思う。

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その後、大学時代に再度出会った時にはこちらも少しオトナになっていたが、全共闘の好む漫画というイメージに侵されて距離を取ったりしていた。今、あらためてページをめくると記憶はやや暗く、しかし鮮明に蘇る。
「紅い花」「李さん一家」「ねじ式」など、単に漫画というジャンルで括るにはあまりにシュールであるが、その中に「西部田村事件」というのがある。

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読み方を間違えてはいけない。僕の家はニシベタという地域への入り口を見下ろす丘の上にあって、この一作はその村での出来事として描かれている。40年以上を経ての再会に少し感動してジックリ読んでみたけれど、昔と同じく概ね意味不明で、意味を常識に照らして解明しようとするからイケナイわけで、でもやはり素直に心地よく、奥底のどこかが前にも増して共振するのは自分が年月を重ねてきた証拠だろうか。

氏は今も相変わらず引きこもりの断筆と思われ、もう新作はないだろうなと思いながら森の向こうの梅雨に煙る西部田村のほうを眺めている。