房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

北海道遠征隊 その1

5000キロの貧乏ツアー

アルバムを整理している。
出てくる学生時代の写真は、クラブ活動とクルマに関わるものばかりだった。
所属していた自動車部では毎年の夏休み期間を利用して、東日本か西日本に「遠征」と称する長期合宿に出る。僕が参加したのは東日本遠征で、東北から北海道を3台の車で5,000キロ、25日かけて回った。

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長距離走行での燃費やオイル劣化などのデータ収集を名分としていたと思う。いつ壊れてもおかしくないほど年季の入った車に部員が分乗して、ほぼ野宿、時折YMCAや船員宿舎などの簡易な宿に泊まれれば上出来、道中に部員やOBの実家などが有ろうものなら大挙押し寄せて食事にありつくという、何とも迷惑なキャラバン隊であった。

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ちなみに、短期夏合宿は長野県・軽井沢で古い公民館を借り切り、近くの野球場に自動車教習所のようなコースを故意に難しく設営して運転技術向上訓練をしていた。姿の良い男女ばかりのテニスコートに囲まれた野球場で、つなぎ姿の一団がくたびれた車を運転したり、押し掛けしたり、ランニングしたりという様は、花の軽井沢でさぞ異様に映ったことだろう。
遠征当時の東日本には新幹線も無ければ東北自動車道も無く、大学のある横浜から一般国道で青森まで確か2日ほどを要して走った。フェリーで渡った北海道はちょうど冬の札幌オリンピック開催の前年であり、主要国道すら未舗装で突貫工事の道路整備があちこちで進んでいる最中だった。クルマにはクーラーなど無いのが常識の時代だったからタオルで顔を覆い、土埃の道を窓全開で走った。

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朝食と夕食は野営地で自炊だが昼食は走行中の町場で適当な食堂を探した。適当なとは格安な、ということになる。当時ガソリンが確か1リッター50円台だった。燃料代は遠征費用の大半を占めるがこれは値切れないので必然、食事代を節約することになる。金をかけられない一団の昼食はほぼラーメンライスで、これの団体割引価格交渉が下級生の我々の役目だった。「ラーメンライス100円という事はガソリン2リッターだ、経済運転で取り戻せ」などと、先輩に訳の分からないハッパをかけられた。
1970年代の北海道というのは「遠征」の地と呼ぶにふさわしく未整備で、本州からの貧乏学生キャラバン隊の珍道中を拒絶無く受け入れるデッカイ大地であった。