房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

北海道遠征隊 その2

狐と熊と自衛隊

1か月かけて車で北海道を回る。
その語感に漂う優美さとは全く縁遠い遠征隊であった。
ほぼ野宿の日々。オートキャンプ場などは無い時代だし、あったとしても入る予定もない。浜にせよ山にせよ、場所を決めたら周辺を当たってテント泊の許可を貰い、ついでに食材を調達した。そこが港の近辺なら無料で手に入る魚が結構あるのだ。隊員の一人に漁師の息子がいたので浜キャンプの場合は何とか人並みの自炊が成立したが、山キャンプは悲惨なくらいに質素でキタキツネの漁る残飯も出ない。

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食欲は時折の自由時間に自前で満たすしかない。阿寒湖で短い自由時間があって、空きっ腹を満たしたあとに湖畔の土産物屋をブラブラと覗いた。有名な観光地だけに、小ざっぱりとした老若男女で明るく賑わっていた。一軒の入り口に幼いヒグマが鎖で繋がれて観光客の人気者になっている。
生来の動物好きなので近寄って頭を撫でたら、母親の乳とでも思ったのか僕の親指を咥えて吸い出した。しばらくはされるままにしていたが時間も無いので手を引くと、結構な吸引力で離さない。
「ハハハハ、こらこら、離しなさいネ」
『ガルルルル』
いやな声で啼く。さすがに危険な気配を感じて焦ったが周囲の目もあり、ひきつった笑顔で誤魔化しながら、どうしたらよいか考えた。
観光客の足が絶えた時を狙って「すいませ~ん」出来るだけ小さく何度か声をかけるとアイヌ衣装を着た土産物屋の店主が中から出て来て、手に持った金ひしゃくでポッコーンと子熊の頭を叩いた。途端にスポッと抜けた僕の指はラッキョのように白くふやけていた。
手をポケットに突っ込んで、隊に戻りながら考えた。さっきの状況は「助けてくださーい。」と言うのが正しい。しかし、思えば人生でその言葉を発したことがない。
咄嗟には、なかなか言えないセリフだなあ。

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ある日、キャンプのロケハン中に自衛隊の一団と遭遇した。こちらと違って立派な目的の演習中と思われたが、その隊員のお一人が声をかけてきた。我々の大学を知っているとのことで何と夕食に誘っていただいたのだ。
横浜にある我々の大学は県内の5大学で自動車部連盟を組んでいて、自衛隊員供給源の某A大学もそのメンバー校だった。お呼ばれしたテントはサーカス団かと思うほど大きく立派なもので、沢山の隊員と一緒に車座での大夕食会になった。
もう時効なので書くが、確か相当に酒を飲んで騒いだ記憶がある。男だけの宴会につき、かなり古典的な騒ぎ方だったように思われ詳細は控えるとして、熊出没注意の看板しかない山中だったから、どう騒いでも誰に聞かれるでもない。
翌朝目が覚めると一団は影も形も無い。大型テントを音もなく撤収して早朝に出発していったものと思われた。さすが自衛隊。我々に悟られないのも訓練の内だったのではないか、日本は大丈夫などと感心し、こちらもそそくさと出発したものだ。

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半世紀を経て思い返すと当時の北海道は広さも自然の濃さも桁外れだった。その20年後にオートキャンプで再度訪れて、以来10年にわたって通い続けたが、その頃の北海道はすっかり洗練された別の大地になっていた。
そこでのユニークな経験については、手元の画像で思い出しながら書いてみようと思っている。