旅と今昔語りの徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

初めてのヨーロッパ旅行 イタリア・ローマ 

 アクア ミネラーレ センサ ガス

1992年7月17日

北回り空路でイタリアに着いた。
ローマ、フィウミチノ空港(レオナルドダヴィンチ空港)。通貨を両替して表に出た時には夜も更けて、ホテルまではタクシーに乗るしか手立てがなかった。
ターミナルビル前でたむろしていた中年の運チャンの一人が飛んできて、年季の入ったフィアットのトランクに我々の荷物を放り込む。

2週間のヨーロッパ旅の始まりだ。

イタリア語と訛りの強い英語のちゃんぽんで機関銃のように喋る中年ドライバーは夜も遅いというのにやたらと観光スポットに寄りたがり、いいから早くホテルに連れて行けと英語と日本語のちゃんぽんで負けずに応戦し、賑やかなフィアットはローマ・テルミニ駅近くの暗くて古い石畳の路地でようやく停車した。ここがあんたらのホテルだと言う。看板もネオンもない古色蒼然のビルを覗くと、レセプションと思われるカウンターとホテルマンらしき人影が見える。
車に戻り料金を払い荷物を降ろしていると機関銃ドライバーが、渡したリラ札をビラビラ振りながら何かまくし立てている。どうやら金が足りないと言っているらしい。
一部始終を見ていた妻が、「このヒトさ、渡した札をすり替えたよ」と言ってドライバー氏のポケットを指さす。と、ばれたかとクッキリ顔に出した機関銃ドライバーは大仰に両手を広げ、イタリア人とは思えぬ正確さで釣銭を戻し、「OK、OK」と明るく言い残して暗い路地をアッという間に走り去った。
チップいらんのかい。

徒歩で巡るローマ

この手のすり替え詐欺はローマでは日常茶飯事、朝晩のご挨拶のようなものらしい。
以降、面倒な儀式を避けるために滞在予定の数日間はタクシーを使わないと決め、テルミニ駅を基点にして、どこへ行くにも徒歩で炎天下のローマ市内を呆れるほど徘徊した。
とにかく熱い夏だったが、幸いに水は町のいたるところで売っている。
人懐っこい売店のおばさんやお兄さんに、
「アクア ミネラーレ センサ ガス」 炭酸無しの水頂戴、が口癖になった。

トレビの泉、真実の口、スペイン階段、サンタンジェロ城と歩きに歩き、バチカンの広大な広場の端で、彼方に威圧的な建物を仰いだ時は流石に心が折れて回れ右。
目前のカフェに飛び込んで冷えたビールで生き返った。日陰の涼しさとビールの美味さ、これがローマの素晴らしさだ。
が、考えてみると徒歩圏外には行かず、美術館巡りもせず、コロッセオもカラカラも空港からのタクシーで通りがかっただけ。
あの夜のイカサマドライバーにもっと案内させれば良かったかと思うも後の祭り、オードリーヘップバーンとグレゴリーペックの痕跡を辿る、短い『ローマの休日』となった。

f:id:countryman81:20210502002128j:plainトレビの泉にお約束のコインを投げ入れる。
夜になると貧しいオジサンがこっそり回収に現れ、近所の酒屋で安いワインを買うという願いを叶えると誰かに聞いた。

f:id:countryman81:20210502003756j:plain『真実の口』 入口で訳もなくキンチョーする。
f:id:countryman81:20210502002620j:plainあっさり手を突っ込む、神をも恐れぬカミサン。ためらうワタシ。

f:id:countryman81:20210502002939j:plainスペイン階段の確かこのあたりだったと、グレゴリーペックを気取る映画フリーク。

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バチカンというのは広場だけの国ではないか、と思うほど広く何もない。
そう考えた浅はかな我々は、世界の至宝たる天井絵画も仰ぎ見ず、この世の天国図も知らず、最後の晩餐にも間に合わず、、何と無知な観光客だったことか。

次の目的地はナポリ

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今更の、はじめの一歩(その1) - 旅と今昔語りの徒然ブログ (hatenablog.jp)