F1グランプリ ドイツ 初めてのヨーロッパ
F1世界選手権第10戦
1932年オープンの伝統あるサーキット、ホッケンハイムリンクでドイツグランプリは開かれた。
1992年7月24、25日 予選
1992年7月26日 決勝
ローマから始まった僕たちの旅の最大、最後のイベントが始まる。
予選の人混みを分けてコースサイドに近づくと、焼けたレーシングオイルの匂いが強烈に鼻を刺し目に染みる。タイムアタックはピークに達しているらしくマシンの轟音が風を巻いて吹き付けてくる。
フェラーリの芸術的なソプラノ、ホンダの悲鳴、ルノーの騒音、ランボルギーニの怒号。すべてが塊になって押し寄せて来て、僕はただ固まって、コース上を飛んで行く熱いマシーンに見とれていた。長い間憧れてきた究極のクルマと天才ドライバーたちが眼前で高速サーキットと格闘している。コンマ何秒かを縮めるため勇敢にコーナーに飛び込み、テールを振って暴れるマシーンを力で押さえつけてドライブする姿はポールポジションを目指す彼らの、ある意味で決勝レースでは見られない極限のアタックだった。
僕はカメラを構えることも忘れて第一コーナーのフェンスにしがみつき、排気管から赤い炎を吐いて飛び去るマシーンを呆然と眺めていた。
レーシングスリックタイヤの焼けたラバーチップがフェンスに飛んできて我に返る。タイヤをケチらないドライバーたちの運転は殆ど常軌を逸していた。
サーキットの流儀
少し気持ちが鎮まったところで場内を見て回る。広い敷地内にずらりと並んでいる大型トレーラーハウスはメディアの中継基地やスタッフの休憩設備らしい。さらにその奥にはキャンプサイトらしき場所があって、様々な車やファミリーが明日の決勝を前にそれぞれのスタイルでサーキット滞在を楽しんでいるようだ。決勝レースの前後に大渋滞を作って押し寄せ、引いてゆく日本の観戦スタイルとは根本的に違う。これがヨーロッパのF1なのか、だからアウトバーンも通常と何も変わらないのか。ホッケンハイム駅前の瀟洒なホテルが夏季休業というのも頷ける。F1ドイツグランプリの観戦客はホテルのソロバン勘定には載っていないらしい。トランプに興ずる駅前レストランの店主たち、ガレージでレースバイクの点検に精を出す若者たち、それぞれが自分スタイルで時を過ごす、ヨーロッパの夏休みの奥深さを羨ましく思った。
と、ポロシャツ姿の小柄な男が一人、メディアのトレーラーハウスから降りて来て即座に人垣ができた。人の群れが膨れて近づいてくる、その中心の見覚えのある顔。アラン・プロストだった。現役を退いた今年はプレスとしてレース解説とドライバーインタビューを「する」のが仕事のはずが、相変わらず「される」側というのも面白い。
明日の決勝に備えて観戦位置などを確認してから、僕たちは宿泊滞在地のマンハイムまで車で最後の移動をしステーションホテルにチェックインした。駅直結のホテルからホッケンハイムへは電車で30分もあれば行けるはずだ。
明日はいよいよ決勝。ポールポジションを獲ったウィリアムズ・ルノーのナイジェル・マンセル対マクラーレン・ホンダのアイルトン・セナ。割って入るか新進気鋭のミハエル・シューマッハ。一体どんなレースが観られるのか、心が躍った。
ー つづく ー