房総半島から徒然ブログ

住みにくい世の中を出来れば笑って暮らしたい、寛容でおヒマなかたのみ歓迎の気まぐれブログです。

クルマのある風景 1

記憶の整理

このところの雨の日は、大量に残っている写真整理に没頭していた。
写真ごとの古い記憶に度々手を止めるので作業は遅々として進まないが、整理しながら何を書こうか考える。

クルマと旅の写真が、やはり多い。
クルマは昔から好きで、子供のころは排気ガスのガソリン臭にさえ魅かれた。
近所のバス停でバスに惹かれて、足を轢かれたこともある。
小学校に何かの作業に来て校庭に止まっていた古い棒型ハンドルの小型トラックを勝手に動かし、止め方が分からずに校庭を周回してこっぴどく叱られもした。

大学時代は自動車部で授業よりラリーレースにはしる。当時はまだまだ世の中は寛容で、大学生が計画した公道でのナイトラリー開催を所轄警察が許可するという、今では考えられない良い時代だったがまた、安保闘争などの学生運動で騒がしい時代でもあった。全共闘だの社青同だの革マルだのがキャンパス内で意味不明の言語でアジ演説し、右翼がその連中を追い回す、そんな光景が日常だった。僕の大学には成田空港闘争から回された荒っぽい機動隊が投入されて衝突で死者が出た。催涙ガス銃の水平撃ちというのが問題視され新聞のニュースにもなった。
我々自動車部は作業ガレージを持っていて、それは校舎と活動家が根城にしていた学生寮との中間にあったため機動隊の突入に巻き込まれたことがある。
クルマの整備作業はつなぎにヘルメットという姿なので、機動隊員からは抵抗学生と同じ扱いになる。盾と警棒で壁に押し付けられ、とばっちりの痛い目にあった。

1969年1月19日の東大安田講堂(写真:Fujifotos/アフロ)

1969年1月19日の東大安田講堂(写真:Fujifotos/アフロ)

ちなみに、僕の大学入試の年は安田講堂事件で東大入試が中止になった。「あれさえ無ければ東大に入っていたのに」というジョークを今でも言ったりする、機動隊と学生運動には縁の深い世代である。あさま山荘事件連合赤軍リンチ事件、よど号ハイジャック、三島由紀夫の割腹自殺など、左翼・右翼の殺伐とした事件が相次いだ。
僕の同い年で、東大入試が受けられずKO大学に入学して翌年、東大を受け合格転校したいとこがいる。親類内比較で不動の最上位にランクされる、全く迷惑な男である。

そんな中、自身は終始ノンポリで風景にはいつもクルマがあった。
ということで、記憶に残っている風景を、気の向くままに拾い書きしてみようと思う。